Blue Nova

管理人のフリーダム横行地帯。別名:管理人の反省室。

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生存報告/スランプ


更新に間が開きすぎで、微妙に危険な気がする。

ああ、管理人なら元気だ。先日風邪を引いたが(家族にうつされた)

いや、学校休むほどでもないんだが。



あと、絵の方が若干スランプ状態になった。

制作意欲が足りないのか。




さて、今日は日直日誌に書いた事でも記事に打ち込んでみる。

うちの学校では、その日の日直が何か自由な話題を決めて、
それに関する自分の考えを書くという決まりがある。

これが中々面倒なんだが、
今日(木曜)は学校が休み自宅学習日となっているので、
ゆっくり書けたというものだ。

かといって、特別深い話題を出したりもしないが。疲れるからな。

という訳で、比較的浅い話題を選んでみた。
あまり考えずに軽く書き流しているが、変な箇所はスルーの方向で。




"勉強の目的"


最近、自分にとっての勉強する事の意義というものを考え始めた。


結論から簡潔に言うと、"知識を得る事"というのがこれに当たるのだが、

"知識を得る事"とはどういうことなのか、一つ簡単にお話ししようと思う。


知識を持っていれば、身の周りの様々な事物と、その知識とを関係づけて、

(例えばドップラー効果が起こる、その理屈だとか)

脳内で"思想する"事柄の幅をより広くする事が可能だ。


まあ、それによって特別現実的な利益を得られるケースは限られるけれども、


それ以上に重要だと私が考えるのが、"思想する"事自体によって、

形而上、または形而下の世界に於いて様々な事象を創造しうる事だ。


先人曰く、人間とは考える葦であり、

葦は思想し、結果として歴史上に於いても様々な産物を残している。


またその一方、葦が思想しなければ、それは単なる葦でしかなく、

そこからは特別何も生まれてこないのである。


つまり、人間にとって思想する事とは、ある意味生理現象の一つと比喩できるほどに

重要な部分を占めていると言ってもいいだろう。


だから、思想するための知識、ひいてはそれを得ることなしには、

人としての能力は十分には発揮されないという訳だ。

(但し、知識を得る事⇒勉強 と言う訳ではない)


よって、知識を得る方法の一つとしての勉強とは、

定期テストの成績がどうこうと言う以前に、

事象を生成する、つまり思想する為に必要な"原料"を仕入れるにあたって、

欠かせないプロセスということである。


以上、雑文失礼。



という訳で、何の脈絡もなく変な事を書いてみた。

特別何か言いたい事がある訳でもないので、あまり真に受けないように。


とりあえず今回はこの辺で。次回辺り絵でも載せたいが、多分無理。


追記:

96個マーク済

マインスイーパ上級がクリアできない。

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この記事へのコメント

日誌お疲れ様~

成る程ね…知識を得るための一つとしての勉強か…

私としては、勉強は『勉を強いるもの』であり、真に目指すは学習――『学び習う』ということである。

確かに勉強は必要だとは思う。

しかし、ただ無理やりでは意味がない。

全員が雁沙さんみたいに「知識を得るために」という思考で行動できればいいのだが。

まぁ、自分自身、まだ勉強の域から脱却していないのだが。

では、私も駄文で失礼する(笑

  • 15/11/2007
  • サイクロン7 ♦AhtLV67I
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